サバイバル:1ヶ月の振り返り

今、授業は以下のチョイスで4つとっていて、4つがここの一セメ分の平均推奨履修科目数なんだけど、ワークロード的には日本で20数コマとってる狂った前期学部生みたいな感じ(2012年東大基準の話)。

  • 移民社会学

  • 法社会学

  • メソッド(Quantitative)

  • 地域研究プロセミナー(必修)

でもメソッド1個とsubstantive2個(レクチャー型とゼミ型それぞれ1個)+プロセミナー(ワークショップ形式で楽)でバランスはいい感じだと思っている。メソッドは今学期Quantやって、SpringにQualとるのが今の計画。ここからは、コースを1ヶ月とってみた感想(社会学メイン)。

  • 移民社会学

    今学期トップのリーディングヘビー授業。セミナー型。毎週論文6本くらい+ここにたまに単行本がしれっとまるまる1冊混じってたりする(死ぬ)。大学院は「いかに読まないか」の勝負。週末は特にダラダラと読みがちなので、最近は15分ごとにアラーム設定して読んでいる(無茶振りでもまずは15分で読み終えることを目指して、それでも読み足りなかったら15分単位で伸ばしていく。大体15分で概要と構造/メソッド把握→15分追加ごとに内容理解を全体的に重ね塗りする感じで足していく)。

    受講者の所属は社会学Department、教育学Department、他大生(一人はMITの政治学専攻って言ってた)の構成。受講者の人種構成も多様(Hispanic、Black、Asianなど。東アジア系は私だけ)。先生はヨーロッパ系移民2世研究の権威者。円卓囲って2時間通しで議論する。UC Berkeleyに2019年にサマーセッションで行ったときPhilosophy of Race, Ethnicity, and Citizenshipという哲学の授業とったのだが、その時もこんな議論が哲学でもできるんだって毎回mindblownだったことを覚えている。この授業でも第二回目にその話に触れてて、やっぱり面白いなぁと。いまだにmindblown。

    日本の教室と違って学生の発言が2時間ずっと間をあけることなく続く。言いたいことを頭の中でまとめていると、もう置いて行かれて次の議論になっているので、授業前に上げたい議論ポイントメモしておく+思いついたら頭の中で多少まとまってなくてもとりあえずしゃべる+できるだけ最初に発言する(時間かければかけるほどもう置いて行かれて言えなくなる)ことを心がけ始めた(第一回目の授業でリーディングもしっかりやったのに全く発言できなかったことのショックで、戦略立て直していったら今のところうまく入っていけてる)。たぶん初回の授業で静かだった印象のせいか、先生が私が手をあげるたびに優先して当ててくれている気もする・・・・(すごくありがたい一方で、なんというか、留学生への配慮みたいなのも感じて、配慮してもらっている留学生枠じゃなくて他の学生と肩並べる一人前学生扱いを目指したいなあとも思う)

    今学期とってる授業の中で一番アメリカ来た甲斐を感じさせる授業。アメリカの移民社会学ってやっぱりRaceの議論と不可分だなと思った。東アジアには使えないフレームワークだよねという話じゃなくて、そもそも人種も移民もアメリカと比べたらめちゃめちゃinvisibleな社会であることを改めて感じた(私はこれが生活面でもアカデミック面でも耐えられなかった)。たまたま学期初めに梨花女子大の先生に誘われて、立教大学の河合優子先生のトークにZoom参加してたことが、この授業を私なりに消化する上で役に立っている。河合先生の、日本におけるRace/「人種」概念の受容とそれとの差別化意図を込めて発明された「民族」概念の話がすごく面白かった(近代日本が輸入したRace概念は、日本を経由して韓国含む他アジア諸国にも輸入されて、また現地での変容も経て今のアジアにおける「人種」理解を形成している)。

  • 法社会学

    他のとりたい授業がスケジュールバッティングで取れなくなって取り始めた授業。とって大正解だった。ちょうど今ペーパー化しようとしているWriting Sampleの修正にも役立ちそうな。東大時代に前期で選択必須でとった法学(7号館で受けるやつ)と後期の国際法はあまり私と合わないと感じたので法社会学と言われてもあまり興味が湧いてなかった。でも、いい意味で裏切られた。法学はわからないけど、法社会学は私が法関連の話で一番興味持つ話であることが分かった。学部でとった法学系の授業が面白くなかった最大の理由は、法の政治性を真正面から論じないと感じたから。たぶん細かく条文読んだり判例読んだりしながら、何をどう適用するかを考えるテクニカルな面には興味がなかったからだと思う(もっと、判決のブレとかにフォーカスさせてくれたらめちゃくちゃハマってた気がする)。国際法の授業では模擬裁判もやったし、法の執行プロセスにおける政治性を理解できる場面は色々あったけど、やっぱ物足りなかったというか、それだったら政治学やった方が裏で動いている力にもっとフォーカスできそうと思った(結局、両方学部時代の勉強で終わったので、それくらいの知識で話してる)。でも法社会学はまさにその法の社会性と政治性こそをテーマにしている印象。これだ!と思った。

    先生が台湾の元裁判官出身。過去にはシングルマザーでもあったらしい。アジア系、ファーストジェネレーション大卒、シングルマザー要素まで、存在だけでempowermentになる。テニュアを最近取られたので、テニュア取るまでhorribleな生活をしていた話をよく授業中にネタにされていて、学部生は大笑いだがその中に混じって笑えない私がいる。

    この授業は今とってる授業で唯一学部生メインの授業。学部生の授業中の発言に対する積極性は何度見ても印象的(好き)。あとどの授業も全般的にそうだけど、授業中にみんな政治的な話する。というかそれがそもそもの議論テーマになってたりする(ということは教授もそういう話をふる)。東大と比べたらこっちの雰囲気の方が私には居心地がいいんだが、大都市の名門大学のエリート学生特有の、階層的な特質が強く出ている(overrepresentされている)証拠なんだろうなとも思った。逆に脱政治化してた日本の東大はまさにその脱政治化をもってここに負けないくらい政治的だったのだなと改めて思った。

    セクションという、TAがリードする補講みたいなのが週1回ある。TAが学部生を楽しませるために(?)最初にいろんなアイスブレークをやるんだけど、こないだ学部生一人が好きなmeme TikTok(呼び方これじゃなかった気がする、もう忘れた)で自己紹介しましょう!って提案してきて、越えられない世代差を感じたのと「あぁこれがGenZか・・・」と思った。

  • メソッド(Quant)

    私はなぜ学部時代にあの統計の授業すら一回も取ってなかったのだろうか。こう思うことにきっとなるだろうと見越して、夏の間に吉本郁先生のRの授業を一人だけ韓国からオンラインで繋ぐという無茶振りまでしながらとっておいた自分に感謝(そして私を受け入れてくれた郁さんにも感謝)。私以外の学生は統計には多少バッググラウンドがあって、逆にRは初めての学生がほとんどで、私はその逆(Rは多少わかるけど統計・・・あぁ・・みたいな)。先生のOffice Hourごとにアタックするという戦略でなんとかサバイバル中。おかげで私の勝手な憶測だけど先生と仲良くなってる気がするlol。Rの授業とった時に一回は触れた概念がほとんどだから、それだけでも、心理的なハードルはだいぶ下がっている。この機会を借りて、もはや私の個人TA化してたJamesと、一時帰国中というチャンスを見逃さなかった私に捕まって色々説明してくれた学部同期の小山くんにも感謝。その時のメモはタブレットに入れてここまで持ってきている。

    これ中級の授業だから、本当はこれより低いレベルの授業もあったけど、諸事情あって中級からとっている。それにしては今のところうまくついていっている(気がする)。中高の時、数学嫌いだったこと(とにかく難しい問題とかせる韓国の受験教育の弊害そのもの)を長く引きずって統計にまで勝手な偏見持ってそれと関連する全てから逃げていた私の過去を償いたい(?)。統計やっぱり面白い。あとコーディングは仕事してた時から思ったけど、頭の中をスッキリさせるのに効果抜群なので好き。クライアント先の立ち入り制限データ分析室でオフィスに誰もいなくなるまでコード書いて、ふと窓の隙間から見えた雪積もる麹町の風景とか今でも思い出す(私の中で「平和」のイメージといえば思い出す記憶の一つ。雪積もる静かな日の、誰もいない静かなオフィス。山あり谷ありじゃなくてほぼ谷ばかりのようだった私の過去十数年の人生で、一番強烈だった時期に味わえたその平和な一瞬の、スナップショットのような記憶がいまだに重く輝かしい)。

    最後にFinal Projectあるけど、移民社会学の授業のFinal Paperと組み合わせて何かやろうというのが私のサバイバル戦略(二つのFinalをなんとか組み合わせることで負担を減らす作戦)。日本の社会調査データ使おうと思ってて、今データ申請中。

他にも履修はしていないが社会学のWorkshopに色々出ている。これからジョブマ出る院生の模擬ジョブトークとか、他大学の研究者のプレゼンも聞けるので、すごく勉強になる(あと良いネットワーキングの場でもある)。今出ているのは、Culture、Immigration、Social Changeの三つ(それぞれSociologyのサブカテゴリー)。自分の研究も多分この三つのうちどれかにはまっていくんだろうなと。昔やってた研究の影響か、私が何か書くと結局Social Changeっぽい議論になるし、でも最近移民の授業とり始めてから急激にImmigrationに傾倒してきているし、しかしやりたいと宣言した内容はどちらかというとCultureっぽいし、カオス。右も左も分からなかった状態から、少しずつこれが右なんだな、左なんだな、みたいな感覚を覚えてきている。

ここの教室一般の、インタラクティブな雰囲気はすごく好き。歳とってよかったと思うことの一つが、日に日に図々しくなっていること。ずっとアジアにいたから、多少そこにカスタムされて控え目に(?)出来上がったのが、今の私の性格だろうと思った。自分の(良い意味での)恥のなさには、私もびっくりした。正解/不正解と、答えが決まっているかのように全てに点数をつけがちなアジアで育った割には珍しい性格ではないだろうか。ここの学生のノリに積極的に染まって、アグレッシブに議論入っていったり、大人数のワークショップや講義でもあまり恐れることなく質問とかコメントしたりしてたら、先生からも他の学生からも、え?留学生?アメリカ住むの初めて?英語圏初めて?!みたいな反応・・・。

一方で、最近悩みになっているのは、ここの社会学ディシプリンの、USセントリックさ。私が一番詳しいし強みが活かせるのは東アジアケースだけど、ここのaudience(先生含む)に興味持ってもらえるためには何かもうワンクッション必要そうな印象。これについて、ここの政治学Departmentの教授に話したら、「アメリカの社会学は基本的にAmerican Area Studiesだ」と言われて、共感のあまり泣いた(本当に涙が出てきて焦った)。地域に縛られたくないというのが、Area Studiesから社会学にシフトした動機の一つでもあったけど、だからと言ってUSケースが扱えるかというと、まだピンとこない。いくつか今考えている迂回路はあるけど・・・。アメリカのSocial Sciencesの中で一番USセントリックさがひどいディシプリンが社会学らしい。そこに混じり込んだ、過去10年間Asian Area Studiesをやってきた私。どうサバイバルするか・・・

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