What If(1)
入院しちゃった。
やっと休める
入院が決まった時に、そう思ってホッとした。ホッとした自分にギョッとした。
このようには、もう生きていけない。
11月16日、誕生日翌日の朝5時。激しい痛みで目が覚めたのは、学生寮の一人部屋。痛みで息が切れていた。
911を呼んだら、救急車を呼ぶことになるのか、わからなかった。救急車は高いと聞いたことだけが、頭に浮かんだ。Mid-Termウィークだった。朝5時に起きていそうな人は、誰も思い浮かばなかった。
結局Uberを呼んだ。救急病院まで自分を自分で運んだ。11.6ドルかかった。
今年対面2回目のHappy Birthdayは、その病院で私の生年月日をチェックしていた看護師に言われた。
このようには、もう生きていけない。
学期途中の緊急帰国を決めたのは、私じゃなかった。倒れた16日は木曜日。翌週の月曜日からは、また学校に行った。一歩一歩、痛みがまだ響いていたから、ゆっくり歩いて教室にたどり着く時間まで事前に計算して行った。
私を除いた全員が「Don't push yourself too hard」と言っていた。心配してくれる気持ちは嬉しかったけど、その言葉に内心腹が立つこともあった。私について何が分かっている。
私に、やりたいことができたことは、全て、自分を極限まで押し込んでの成果だった。昔から常に風に逆行しているような気分で生きた。みんなはゆっくり歩いても大丈夫。私はゆっくり歩いてっちゃ、どこにも辿り着けない。常に片足飛びで生きている気分だった。
でもこのようには、もう生きていけない。
倒れるまでの数週間、一番忙しかった時期に偶然、音楽を自動再生していたらYUIのTokyoが流れた。歌詞は私がつけたのかと思った。教室と図書館までの行き帰り、ずっと口ずさみながら歩いた。
日本を離れてやっと、J-POPが楽に聴けるようになった。それが嬉しかった。高校の時まではYUIの曲をよく聴いていた。日本にいたとき私に韓国語世界がそうであったように、アメリカでは韓国語世界も日本語世界も逃げ場になってくれる。
日本を離れた今ならできる話がある気がした。今ならできる話から少しずつゆっくり書いてみることにした。