What If(2)
学部二年の頃だったか、三年の頃だったか、駒場の学生相談所に通い始めた。誰かに聞いてもらいたいけど、聞いてもらえる人が近くに誰もいなくて、でもずっとこのままボロボロな気持ちと常に泣きそうな気分では、生きている一分一秒が苦痛だったから、でもなんとか生きていきたいから、こんな私をどうにかしてくださいの気持ちで。
毎週一回、一号館を3階まで登った。吐き出すように話すと40分なんてすぐで、一回話し始めると涙と鼻水が止まらないそんなセッションが数ヶ月続いた。天気が寒くなってきた頃だったか、夏の梅雨の頃だったか、少し肌寒くなってきた頃に私は相談所を通うのをやめた。よくなっているどころか、その相談が私をもっと傷つけている気がしたから。
相談といっても、カウンセラーの先生はずっと私の話を頷きながら聞いてくれるだけで、私が一方的に40分を話し通すやり方だった。私を傷つけていたのは、先生とのやりとりではなかった。私がそこで話し続ける内容と、私とカウンセラー先生との間のどうしようもない距離感と断絶感だった。
日本人のカウンセラーに、日本語で、日本人から受けた差別体験、暴力、暴言を説明し、その時の私の気持ちを言語化して表現すること。その状況そのものが、話せば話すほど、私をもっと傷つけている気がした。
あるとき、周りにもその学生相談所に通っている同期がいることを知って、その子にどうだったかを聞いてみると、すごく頭がすっきりすると話していた。それはまだ私が相談所に通っていた頃のことだったと思う。じよんはどうだったのかと聞き返されて、その時は素直に答えていない気がするが、頭がすっきりすると話していたその子の言葉だけは長く記憶に残った。
これはもっと古い痛みについての話である。相談所には通わなくなったが、痛みは強まっていった。
痛みは、その後の私の人生を変えた。もう普通には生きられない身体になっていた。コントロールの効かない身体の痛みは、人をびっくりさせたり、心配させたり、その痛みは何か、どこから来るものなのか、挙句は一体何があったのかを説明させられるか、聞かれて私を答えに困らせる可能性をいつでも開きうるものだった。その時から私の人生には、地球からは絶対に見えることのない月の裏のようなものができた。Far side of the Moonというタイトルで書いた記事は、このブログを作った春からずっと書いて直してを繰り返して、結局投稿できなかった。