近況、そして続く「反日/親日」(4)
最後に投稿してからもう1ヶ月以上経つ。またいずれ戻らないといけないという約束や義務なしに日本を離れて初めて、日本のことを恋しく思える。この日が来ることをいくら待ったのか知らない。日本のこと、日本で過ごした私の時間をただただ愛せるようになるためにも、私は日本を離れないといけなかったと思う。帰っても帰らなくても良くなって初めて、日本は私にいくらでも帰りたい場所になった。
私がまだ日本に住んでいた頃、小学校の時にカナダに移民して今はアメリカで暮らしている、同郷の友人に何回か会いに行ったことがある。彼女が彼女の友達に私のことを紹介するたびに、「She’s from Japan」と言っていて、そうか、もう私はfrom Japanなのか、と思ったことがある。ボストンに来て一週間、どこに行っても自己紹介から始める日々が続いているが、私の自己紹介は毎回「I grew up in Korea, but I had lived in Japan for about past 12 years」から始まる。「I moved to Japan when I was 18, and spent my whole 20s there, living and working」というちょっとしたディテールもたまに添えながら。東アジアからの留学生だと中国人がマジョリティで、たまに韓国人がいて、日本人はそれよりもっと少ないこのコミュニティで、私の日韓Mixedバッググラウンドは、それだけで私を説明する大きな要素になっている。
この連載を始めたときに書きたいと思ったことがいくつかあったのだが、どれも私には大事で大きな話すぎて、書くのが逆に心理的負担になってしまっていた。こんな頭痛いブログ(しかも今のところ殆どcontroversialなタイトルの記事ばかりの)を誰が読みたがるんだろうと内心思いながら、でもどうせ誰も読まないんだろうから寧ろ気軽にFacebookやInstagramに共有していたら、案外多くの人に読まれていることに気づいて、変な気合いが入ってちゃんと書かなきゃと思ってしまって、結局何も書けない時間が続いた。日本→韓国→アメリカの3カ国を飛び回る引越しで非常に忙しかったことももちろんあったのだが。
特に難しいと感じたのは、研究者としての私と、このブログに非常に私的な経験と感想を書いている私を分離すること。ブログはあくまでブログで論文ではないはずだが、最近変に膨張している研究者としての自我がコトバにブレーキをかけて、こう書くと世の中にあるこういった話を知らないか無視しているように聞こえそうと余計心配になるのである。だから、今回の投稿では最初にこのことについて率直に話しておきたかった。研究者としての私と、私的な経験の蓄積としての私は、綺麗に分離できるものではないし、そうあるべきでもないと思うが、ここに綴られる私のコトバはできるだけ注釈のないものにしたい。誤解を恐れず、すべての人に対して分かりやすいコトバにしようともせず、ラフに書きたい。ここに書いた内容と同じテーマでアカデミックな記事を書こうとすると、私はまた全然違う話をすることもあると思う。しかしそんなことなど、ここでは考えないことにしたい。アカデミックな意味で「筋の通った」話をするために始めたブログではないし、関連する世の中の文脈と議論を繊細に検討した上で書くものではなおさらない(当たり前)。このことを誰よりも私自身がついつい忘れそうになるので、自戒を込めてここに記しておく。この非常に私的な経験と感想から出発した問いの客観化と再検討は、研究者としてのセルフがこのブログではない別の場所でやっている。このブログはあえて、極めて私的な私に立ち返る場所にする。それはそれで、非常に重要なリチュアルのはずである。
それで、「反日/親日」の話なのだけど、書きたいことは多いが、一回の連載に全部盛り込むことを私はいい加減諦めて欲しいので、これからもこのテーマを様々な文脈で気が向くたびに蒸し返す予定である。Sayonara Komabaから私がずっと言おうとしているのは、日本社会が根ざしている文脈をそのままスライドできる社会なんて存在しないし、その理解なしに反日だの親日だの語っても、そんな国など日本人の頭の中の創造物にすぎないということである(平たく「反日/新日」レンズに全てを押し込むことに十分な意味を見出しているなら、私にもこれ以上言うことはない)。韓国では保守派(親米・反北朝鮮)が日本のマジョリティに近い世界の見方をしていると見ることもできるが、それはある意味、世界に対する冷戦主義的な見方である。日本はまさに、その冷戦構造の最大の恩恵を受け、戦後の富と地位を築いた国である。韓国が国内の激烈な左右対立を通じて、この冷戦主義的な見方に対するアンビバレントさを表すのは、韓国社会が解放後置かれてきた状況を考えると理解し難いものでもないと思う。
私がアメリカに来る直前までも韓国社会を最も騒がせていたニュースは、福島の処理水/汚染水(このワード自体非常に政治的なので両方書いた)放水問題である。ちょうどその時期に日本から友達がたくさん来てくれてソウルを案内していたのだが、放水に反対する街頭デモにも遭遇することがあった。そしてそのデモの様子などが、日本のマスコミでも報じられていたことを知っている。放水に反対する大学生のグループが日本大使館に乱入し、警察に逮捕される事件が起こった時、それが日本のメディアにどう描かれていたかは、見ていないが容易に想像がつく。多くの日本人の目に韓国は、反日で、過激で、デモばっかりやっている国であり、実際にそのイメージを補強するニュースばかり聞こえてくるのが現実である。
これは政治的な文脈に限らず、もっと生活一般における一人ひとりの感覚と態度においても言えることだと思うが、私は日韓社会の違いを説明するフレーズとして、「脱政治化している日本」と「過剰政治化している韓国」という表現を最近よくつかう。敗戦とともに始まった戦後の日本では、脱政治化することこそがある意味、国際社会における生存戦略だったと思うし、解放後の韓国は、ある意味過剰政治化することで冷戦と分断を凌ぎ、軍事独裁を終え、民主化を果たしたとも言える。日本でも「政治の季節」と呼ばれた時代が戦後にあったと思うが、その時代はトラウマだけを残して終わったようにみえ、何か遺産と呼べるほどの実績を残していないようにも思える。一方、韓国は、近代以前の王朝時代から続く易姓革命の歴史や、外勢の侵略に度々無力な中央政府とそれに立ち向かう百姓たちのナラティブの繰り返し(端的な例として、日本の侵略に際して逃亡した朝鮮の王と、戦場で日本と戦った李舜臣の話や、植民地化後も日本の支配に反抗した農民や独立運動家たち、朝鮮戦争勃発後に首都を棄てて国民より先に逃げた大統領などなど)、下からのナショナリズム(「国は国民を守ってくれないかもしれないが、国民は自らを、そして国をも守った」みたいなナラティブ)、そしてそこまで遡らなくても何より解放後は民主化という大きな政治遺産が、ある種の大衆文化として、活発な住民自治、各種労働組合、そして女性運動に至るまで、一人ひとりの市民の日常生活の隅々に流れている。活発だからといって、それが常にいい方向にうまくいっているわけではもちろんないが、脱政治化している日本社会に住む人たちからすると想像できないほど、政治は日常化、日常は政治化していて、それは何も派手で気持ちいいものではなくドロドロとしていて、いつもその吐き気がするほど疲れるドロドロなプロセスと自浄作用がうまく行けばその末にこそ、結局は一人一人を取り巻く社会をよりいい方向に導くことができるという、経験知が生きている(なんかこう書くとあまりRomanticiseしていると、特に韓国の国内事情をよく知っている人に怒られそうだが、少なくとも日本と比べたときに言えることだと思う。そして何も私はこのプロセスがいつも楽で平和なものとは言っていないつもりで、ただそのドロドロさと、それに耐える辛抱強さにこそ、現実を変えられる力があると思っている)。
だから、過激で、デモばっかりやっている韓国が反日だと思ったなら、韓国は反日であるだけでなく、反米で、反中で、反北朝鮮で、何より、(ある意味)反韓国(反韓国政府・韓国政治・韓国社会)である。社会に対する強烈な批判意識と、行動で示す問題提起こそが、この国のナショナリズムのあり方だったようにも思うし、国としても、社会としても、一個人としても、生存戦略だったように思う(これもまた批判的に解釈すると、声高に叫ばない/叫べない人は損したり、置いて行かれたりするような社会は、まず非常に疲れるし、それはそれで問題であるように思う)。デモは、「反日」デモのみならず毎日どこかで行われていて、最近だと学校教師の労働環境改善を求めるデモとストライキが全国に拡散している。日本の人が想像するほど、また、日本のデモがよくそうであるように、いつも胡散臭いものではなく、デモ現場には音楽があったり、歌って踊る人がいたり、出会いがあったり、写真と展示と市民が残したメッセージボードがあったり、もっと多彩で、インタラクティブで、生き生きとしている(もちろん、叫ぶ人、泣く人もいる)。もっと、祭りのような感覚、または、スポーツチームを応援するファンみたいな様子を見ることもできて、それが暴動化することは今は稀だが、警察や反対側のデモと衝突したりすることはある。民主化運動の時に市民に歌われた数々の歌は、さまざまに編曲され、今でも集会やイベントで歌われるだけでなく、ミュージカルや演劇に使われたり、変化を遂げながら市民自らによって受け継がれている。舞台を立てて、歌手や著名人を呼ぶこともよくあることで、デモというか、まるでコンサートのように見えることも多い。2016年の朴槿恵政権弾劾デモでは、確かクラブのDJとかも来て音楽を流してくれたし、踊ったり歌ったりもしていたし、舞台では歌手と市民団体の人が公演や演説をしていたし、あまり政治に興味のない人や(そもそもそんな人がこの過剰政治化している韓国には少ないように思うが)、難しいことはわからない人でも、なんか「楽しい(?)」と思えたり、カタルシスを感じられる要素が多くあったと思う。そして繰り返すが、過剰政治化している社会だけあって、毎日何かを訴える人を目にしたり、私自身がその訴える人になったりするような日常は、非常に疲れるものでもあるが、一方で、振り返れば確かに、そのプロセスを通じて一歩ずつ変わってきた(否定的に言うとそうとしか変わってこなかった)という認識が、この政治文化を支える原動力になっているように思う。
短く切り上げようと思ったけど、また長くなってしまったのと、まだもう少し書きたいことがあるので(いやさっきそんなの諦めると言ったのに)、また余裕ができて気が向いたら書く。明日からいよいよセメスタが始まるのだが、今学期は社会学の授業だけ三つ取る予定(しかもその一つはQuant/Statの授業)なので、非常に忙しくなりそう。この後、駒場出身で同じくボストンに来ている後輩に会いに行く予定!嬉しい。