「反日/親日」という、めんどくさい話(2)
まず最初に、これを読む多くの日本語話者にとっては直感に反する(counterintuitive)かもしれないことをはっきりさせておきたい。今の韓国の、少なくとも若い世代は、そこまで日本に「興味がない」。「興味がない」というのは、別に負の感情も正の感情も基本的には抱いていないという意味で、である。日韓の間で摩擦が生じると、もちろん「反応」はする。ただ、それまでである。日本の人が想像するほど、怨念のような、常に抱かれている深いセンチメントなど、今の若い世代には存在しない。2019年、日韓貿易紛争に触発されて起こった日本製品不買運動(通称NO JAPAN運動)の際には、若い世代も活発に参加していたが、それはあくまで、韓国に対する貿易制裁とその制裁を加えた安倍政権に対する反発として行われたものであった。コロナによる観光制限がなくなった途端に、この若い世代が日本旅行に殺到していることだけをとっても、いかにこの世代の日本への「反感」というのが、根源的で深いセンチメントに裏付けされているというよりかは、時期によって浮上するイシューに対するその都度の反応であるかがよくわかる。
私も、この若い世代の一人である。親世代の日本への憧憬、祖父母世代の日本に対する警戒とトラウマ、いずれに対しても特に強い共感を抱かないまま育ち、日本語が第三外国語だった高校の時にはピアグループ内で流行っていた日本のドラマをみてイケメン俳優がかっこいいと騒ぎ、人生初めて行った海外だった日本修学旅行で親からもらった3万円をいかにうまく使うかを考える、いかにも日本にもいそうな学生だったのだ。日本で韓流が、中年おばさんの占有ではなく若い世代にも広く人気を得るようになったのがここ10年も経っていない新しい現象であるのに対して、これに比べられるほど熱い「ブーム」的な感覚ではないにせよ(SNSがなかった時代だからアツさが分かりづらかったのかもしれない)、また、その「オタク」レベルに個人差は存在したにせよ、日本のアニメ・映画・ドラマ・音楽をまるで「空気」のように享受しながら育ったのが今の韓国のミレニアル世代なのだ(韓国のエンタメ産業が黄金期を迎えた時代に幼少期を過ごしているZ世代は、そもそも日本のエンタメ産業の衰退と相まって、日本の文化コンテンツへの露出度が私より少ないかもしれない)。
多分、今のK-Popとかに馴染みのある日本の若い世代の、韓国に対するノリがこれと似たものがあるように思う。K-Popは聞くが、難しいことはあまり考えていないし、そこまで興味もない。親世代が持っていた「先進国」日本に対する憧れとか、日本という国に対するコンプレックスもない世代である私のノリも、まさにこれと似ていた。文系の受験校である外国語高校で日本語を選んだのは、一番人気の高い英語クラスよりは安全に合格できるだろうという戦略的な選択だったし、高校卒業直後、日本の大学に留学したのは、欲を言えば本当は英語圏の大学に行きたかったけど、財政面でも語学面での実力の意味でも、日本に行った方がやりやすそうという判断からの成り行きだった。
そもそも「できる/できない」によって縛られた状態での日本留学決心ではあったが、外交官になるのが夢だった高校時代の私は、それに一応積極的な意味づけもしていた。高2の時に参加した学生向けの外交フォーラムで、日中韓を取り巻く東アジアの地政学の話が面白く、調べ物をしていたら当時日本の鳩山政権が謳っていた「東アジア共同体」構想を記事を通じて知り、日本に行けばもっと、その「東アジア共同体」構想のような、日本と韓国が協力して、世界の覇権国家に振り回されたり、言いなりにならなくていい地域共同体のようなもの(アジアのEU的な何か)をつくるビジョンについて学べることを期待して、という話を、日本の文科省が採用する国費留学生の選抜面接で語り、留学を実現させた。「東アジア共同体」構想を真面目に考える人なんて日本には全然いなくて、その提唱者の鳩山も、日本国内では変わりもの扱いされる人だったことは、留学後知った。
そしてみんな、私が「反日教育」を受けたと言うのだ。そもそも何をもって「反日」と言っているのかが分からなかったのだが、そう言ってくる人たちの話をよく聞いてみると、まるで私が学校で「日本は悪い国だ」と教え込まれた(洗脳された、のニュアンスに近いものを感じた)とでも思っているようなのは確かだった。さらに、接点が持てる場面は多くなかったが、たまに出会う日本の上の世代の中にはもっと興味深いことを言う人もいた。日本はアジアのために戦ったのに、反日教育を受けているあなたは当然分かっていないでしょうと。「東アジア共同体」のようなものをつくるにはどうすればいいかを考えたいと宣言して日本に留学した私は、自分が何かを大きく勘違いしていた気がして、そもそもの出発点を修正しなければならなかった。それで、「東アジア共同体」の代わり、帝国期日本において提出されたが、侵略膨張戦争への正当化論理以外の何にもならなかった、屈折した「東亜協同体論」について学部卒論と修論を書いて、このテーマでの研究には区切りをつけた。
もう後にしたと思っていた「共同体/協同体」に対する関心は、全く違う社会学分野での研究方向性を模索する中、「コミュニティ」「親密圏」「パートナシップ」「リレーションシップ」といったキーワードに分化していっている。同じく、もう後にしたと思っていた「反日/親日」の問題は忘れそうになるたびに蘇り、私を付き纏ってきた。「反日/親日」の話をしようと決めた時から書こうと思っていた内容にはまだ辿り着いてもいない。次こそ本論が書きたい。