コトバ、その一
ブログを始めてみた。
なぜ今更わざわざブログ?
かというと、私のコトバを、私に最もしっくりくる形で、どこかにまとめたいと思ったから。
なぜ他のソーシャルメディアではなくブログ?
Facebook
とにかく【ご報告】が嫌い。本当に嫌い(と言いながら、私も仕方なくご報告時に使っている)。もっと些細なことを軽く投稿したいのに、いつからか主に日本語ユーザーの間で【ご報告】用のプラットフォーム化してしまった。この現象についていつか書いてやろうと思ったくらい。あと職場の同期と上司、大学の先生と友人、高校と地元の友人、家族、親戚…と、あまりに多様かつ具体的な関係性でつながった人たちが見ていることを意識せざるを得ず、投稿に対する心理的ハードルが上がってしまったがゆえに、本当に【ご報告】或いはそれに近いものしか書けなくなった。
Twitter
ここには書いているというより吐き出している(いた)。Twitterがここまで広い人口層に普及している国は日本くらい。韓国では、Twitterをやっているというと陰キャオタクに見られるので、誰もあまり表立って言わないし、メジャーなSNSでもない。という事情もあって、私は学部一年生の時に周りの学生(99%日本人)がやっていたから始めた。最初は日本語で呟いていたが、途中からほぼ韓国語ONLYで呟くようになった。レイシズム、女性嫌悪などで溢れかえっている日本のタイムラインに嫌気が刺したこともあるが、生活の中の「あらゆる出来事」で心身疲れ果てた当時留学生身分の私が、その「あらゆる出来事」に邪魔されない空間が欲しかったからだと思う。言語を改めることで、その「あらゆる出来事」と格闘する日本語世界の私から少しでも距離を置き、心をリラックスできる場所が欲しかった(当時の私には、ほぼ生存に欠かせないニーズだった)。留学生の友達があまりいなかったため、オフラインでは日本語、オンラインでは韓国語というふうに綺麗に世界を分けられた。使用言語を韓国語に切り替えてから、Twitterを「感情のゴミ箱」と呼んでいた時期もあった。でも今やそのサバイバル期の終わりを感じる。吐き出してきたコトバを纏めたい。二つの世界の私をもっとしっかり繋ぎたい。
Instagram
最近だと一番使っているプラットフォームかもしれない。写真を撮るのも撮られるのも好きな私と相性が良かった。Facebookよりはフォロワー層が狭く、Twitterより遥かに国境を超えている(日本人の友達も、韓国人の友達も、その他の国の友達も皆使っている)。でもやっぱり写真ベースのプラットフォームなため、コトバをまとめるどころか、どう見せるか/見せたいかばかりに気がいってしまう。まさにその自分キューレーションを楽しんでいる側面も否めないが、それがキューレーションされた自分であることも忘れたくない。私は何が見せたいか、なぜそう見せたいかを、コトバにして考える時間が欲しい。その時間を許してくれる空間が必要。
というわけで、ブログを始めた。
ほぼソーシャルメディアレビューになってしまったが、初投稿のお題を「コトバ」にしようと決めたとき、一番書きたかったことは実は別にあった。前置きだけで結構な長さになってしまったので、本論は別投稿で書いてみたい。文章が長くなる癖がある。最近よく心の中で呟くことだが、もっと軽く生きたい。軽くなりたい。