異邦人2.0

30代を生きるのは20代を生きることより確かに楽だ。少なくとも私はそう思う。私がまだ20代だった頃、多分30代だった誰かが同じことを言っていたが、そんなの当時は耳に入ってくるはずがなかった。今すぐにでも死にそうなのに、時間が経てば楽になるって言われたって何も力にならない。死にそうにしている私に「大丈夫、あなたはまだ若いから」と言ってくる人がいたら、殺してやりたいくらい腹が立った。でも例えば21歳の時の自分を、今の31歳の自分と比べたら、何かが確かに楽にはなった。それがなんでなのかについて考えた。数字は概念にすぎない。別に人生の大変さレベルが下がったわけでもない。大変なことはまだ大変。苦手なこともまだ苦手。今日も今日とて、あぁこの私の馬鹿ーーーまたーーー、、!って思いながら既に31年間何千回繰り返したか分からないミスをまた繰り返した。私の31歳は、苦手なことは苦手なまま、いまだに何もどうしようもできていない中、上手い対処法をまだ絶賛実験中か、適当に諦めがついているという、よく分からない年頃だ。それでも楽だと思うのは、多分自分への声の掛け方が上手くなったからだ。

世の中、みんな変な人ばかりだ。その変な人には私も含まれる。人って、本当に変だ。飛び抜けて変だと思う人に出会うたび、あの人にとって私はどれだけ変な人に見えるんだろうと思いながら、こんな私を耐えてくれる人たちに逆にありがとうって言いたくなる。それはともかく、これだけ変なんだから、世の中に私より私を心地よく世話できる人は、これまでもいなかったし死ぬ日までいないという事実に気づいてしまったのだ。その事実にガッカリしなくなった。31年間を通して、自分とここまで仲がいいのは初めてだ。30歳にまた人生をリロケーションしてしまったせいで、私の過去なんて学科のウェブサイトのプロフィールに載っているくらいの情報しか分からない人たちがほとんどの環境ではなおさら、自分は自分の最大の理解者になる他ない。

まだcultural capitalが足りない、留学というか移民初期には特に、誤解され誤解するの日々だ。デジャヴ。とりあえず私がベストだと思う自分を出してみるけど、全く予想と違う反応が返ってくることもある。その予測不可能性にとても不安になることもある。でもこれも二回戦目だ。異邦人2.0だ。私は日本にいてもアメリカにいてもあまりニューカマーには聞こえないバージョンの現地語を話すせいで期待値を上げてしまうことがあるようだ。しかも韓国に帰っても状況は同じだ。私の韓国語の話し方、人間関係、全てが、18歳の時間で止まっている。日本に行ってからは、話し方、振る舞い方、全てを、抜本的かつ意識的にハードモードで同化させた。結果、どこに行っても変な人になった。会話中の相槌のなさをとりわけ不安に思って怒ったのか聞いてくる日本の人たちを安心させるためにインストールした、相槌のうちスギとニコニコしスギをアンインストールするために今全力で頑張っている。また、、、また始まった。ハードモード同化。どうせ自分が自分の最大の理解者であるまま最期を迎えるのだろうに、それでも私は地球上どこにいても誤解され続けるこの異邦人ライフがうんざりだ。自分と相談結果、その誤解が私の志す目標の邪魔になる種類であれば、いやでも私は異邦人なんだからしょうがないと割り切れないという結論に至った。でもそれが、人が人を完璧に理解するという最初から無理に決まっている事実に心が折れて、地獄で大石を永久に山頂に押し上げるシジフォスのようなことをしたい気持ちからなのであれば、そのエネルギーは自分との対話に当てることにした。幸いなことに、過去いつよりも自分についての理解が深まっていてよかった。

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